太見洋介【笑倍繁盛の原点】その1

目の前の仕事には意味がある。つまらなく感じても必ず突破口が待っている。

 アジアのど真ん中で自らが主体的に関わる仕事がしたい。そう考えて日本の商業施設を牽引する財閥「三井不動産」グループに入りました。それから中国上海・寧波という都市に単身赴任し、海外で働いていた経験から言えるのは、どんな仕事でも、たとえそれが自分が希望したものではなくても、「与えられた仕事にまい進すれば努力は必ず報われる」ということです。

 三井グループに入社し、最初の配属は「三井アウトレットパーク仙台港」の立ち上げでした。地方に配属し、東京本社とは遠いながらも都心に拠点を置くテナント本部との交渉や人事・経理・総務・営業・販促・運営といったマネジメントを経験することが出来ました。それが、のちの中国赴任に役立ちました。

 三井アウトレットパーク仙台港の立ち上げで最初に担当したのは、販売促進のマネージャー。東北初となるアウトレットOPEN前の期待感を醸成する宣伝広報や、OPEN後の大量集客を仕掛けるべく東北6県と新潟、北関東を対象とした販倍促進/誘客活動です。

 ここまでは日本全国の三井アウトレットパークで働く販売促進のマネージャーたちと同じ。予想外だったのは、仙台配属3年目の人事異動でした。普通、新規開設の次は、新たな地域での立ち上げなのに、私の行き先は中華人民共和国への赴任。ちょうど海外進出の計画が浮上していて、それを担当する破天荒(笑)な若手が必要だったのです。2011年3月11日午前中の人事異動発令でした。

写真:2011年4月。三井不動産上海 現地法人へ赴任。

 中国赴任ではいろんな仕事をしました。中国では1年に1度、全ての社員と給料交渉があります。信頼する中国人社員に次年度も働いてもらうよう、深夜まで交渉しました。賃金交渉が難航し、翌日、出社を拒否する従業員もいました。

 実は世界で働く事を熱望し入社した後、配属が仙台(地方)に決まった時は3年働いたら転職することを考えました。しかし、与えられた仕事は何でも一生懸命に取り組み、プライベートの中で英語や中国語を学び、世界で働く準備は怠りませんでした。学生時代の同期が北米とか欧州へ赴任し、奮起している様子を見て焦りがなかったというと嘘ですが、そんな自分に思わぬ人事が出ます。次の異動先は三井不動産(株)アジアパシフィック事業部。グループ会社から異例の親会社への人事異動となりました。親会社の中でも出世頭が集う花形部署でした。その後、三井不動産上海の社員として海外赴任。憧れだった世界への進出が叶った瞬間でもありました。

 いくつか理由があったようです。日頃の仕事をこなしながら“あきらめずに”世界の商業施設運営の勉強を自分で続けていました。ある時、アウトレットパークに来場されたお客様の意見をアンケート形式ではなくビデオ録画し、報告会で発表したところ大きく評価されたそうです。そして東北で3年間しっかりと仕事をしたことを東京の本部長が見ていて、推薦してくれたことも後で分かりました。入社後すぐに世界で仕事はできませんでしたが「遠回りすること」で私は大事なことを学んだのだと思います。

中国寧波アウトレット建設現場にて

 現在はいくつかの会社経営に携わり、その一つに人材育成事業があります。2015年~これまでの期間で商業施設で働く国内外およそ3万人の受講者と接してきました。若い人は「もっとやりがいのある仕事に就きたい」「新規開設や立ち上げの仕事をしたい」といった、華々しい仕事をしたがります。それは当然でしょう。でも若いうちはつまらないように見える仕事でも、集中してやるべきことを見つけていけば、必ず突破口が待っている。今やっている仕事には必ず意味があるのです。

振り返ってみると仙台のアウトレットパークの業務では、テナントの店長さんはじめ施設の電気屋さんや警備の方と社内外でいろいろな立場の人と仕事をしました。その時、強く感じたのは現場の方々と話をすることの大切さです。そんな経験をしたからだと思いますが、私は人の話を聞くことに時間をかけるようにしています。人は自分の話を聞いてくれる相手には思っていることを話すもの。起業して以降も、古巣の同僚や上司とCommunicationを取らせていただき、また、たくさんの経営者と親しくお付き合いしていただけたのも、そうした経験が生きたからではないかと思います。    

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